「竜崎ってさ、実は結構女性経験があったりして」
 流れるような動きでキーボードを叩き続ける形の良い指先を止めないまま、問い掛けた月の言葉に、竜崎はかくりと壊れた人形のような動きで首を傾げた。




Crime of Eden




 深夜の捜査本部。光量を抑えた室内でモニターに向かっているのは、竜崎と月の二人だけだった。他の刑事達は束の間の休息を得る為に、別室に下がっている。
 首を傾げたまま、竜崎は右手を持ち上げて口元へ運ぶ。ちゃり、と鎖の擦れる音を聞いた気がしたが、慣れたその音は幻聴でしかない。右手が自由になって既に数日が経っている。
 何故突然、月がそんな下世話な話題を持ち出したか判断が付かなかったが、彼の年齢を考えると、年の近い自分と二人きりの今、沈黙を埋める目的としては別段変わった内容でもないだろうとあっさり納得する。
 漸く指を止めて振り向き、薄い笑みを浮かべた月の視線を受けながら、竜崎は首を傾げたまま、かしりと爪を噛んだ。

「そうですね・・・。結構、という表現がどの位を指すのかは不明ですが、私も男ですし。まぁ、それなりに」



 話題に乗ったのはほんの気紛れだった。
 少しばかりモニター上の無機質なデータを解析する事に飽いていた事と、同じ様に少しばかり集中力を失いかけていた事で、気分転換にでもなればと思った結果だ。
 しかし話題を振った本人は、竜崎の返答に少なからず驚いた様だった。
「へぇ・・・・想像付かないな・・・・。何かそういった事とは縁がない感じだよ」
 聞いておきながら何を言う。目を見開いて平坦な声音で返す月を、些かむっとして見遣る。
 ああ、ごめん、と悪びれる様子もなく笑った月に、負けず嫌い根性がむくりと頭を擡げて、竜崎は口を尖らせた。
「そりゃ月君程じゃないですけど。もてなくもないんですよ、私?」
「へえ?」
 完全に面白がっている。
 はぁ、と軽く息を吐いてから椅子を一回転させる。以前は鎖が絡まるからと苦言を呈してきていた月が、自由となった今では何も言わない。その事に僅かな開放感を覚えた。
 同時に話題に乗るのではなかったか、と微かに後悔もしたが、今更会話を打ち切る方が何となく悔しい気もする。
「まぁ私の場合、もてているのは私自身というより私の遺伝子、でしょうけどね。行為自体も特に必要があるわけではないですし」
「必要ない?て言うか、遺伝子?」
「はい」
 くるくると回りながら話していると、今度は落ち着かないから、と回転を止められた。
 とかく夜神月という人間は神経質な面がある。些かむっとして相手を見遣る。けれど月自身は気にした風もなくこちらを見ていた。無言の視線が続きを促しており、仕方なく竜崎は、だらりと両手を下げて膝の上に顎を乗せるという気の抜けた格好で、二度目の溜息をついた。

「相手を選び行為を行うのは、子孫を残すための種としての本能です。逆に残すつもりがないのならば行う必要がない、と言うことですよ」

 うん、まぁそうだろうね、と曖昧な相槌を打つ月は、顎に手を当ててなにやら思案している様子だった。
 何を思っているのかは知らないが、それを追及するつもりはない。

「さらに言えば、より優秀な遺伝子に惹かれるのは、進化を目的とした雌としての本能でもあります」

 だから、必要がない。自分の子孫を残すつもりなどないから。
 だから、求められる。竜崎本人としてではなく優れた頭脳の持ち主として。


「人間だけです。本能を駆逐し、快楽を追い求めて行為を行うのは」


 幾度か経験した中で、竜崎が得た情報はそれだけだった。
 それが空しいと思ったことはない。おそらく自分は客観的過ぎるのだ。人に対しても、自分に対しても。
 だから感情がついてこない。必要がないものを求める心理を理解する事が出来ない。


「そうだね。人間だけだ」


 一気に言い放ってゆるゆると瞳を伏せた竜崎は、淡々と響いた声に顔を上げた。
 視線の先には、話している間ずっと何かを考えている様子だった月が、顎に当てた手を離して目を細めている。
 その瞳の奥に見慣れない光が宿った気がしてじっと見詰めていると、不意に月の手が伸びて竜崎の髪に触れた。


「人間だけだよ。誰かと。愛する人と。抱き合う事で幸福と快感、その両方を味わう特権を与えられたのは」


 白く整った指の間から、さらりと髪が滑り落ちる。幾度も幾度も繰り返されるその行為を黙って受け入れていると、再度滑り落ちた髪と共に指先が頬に触れてきた。視界の隅に捉えた指先が、ゆっくりと輪郭を辿っていく。
 不快ではない。けれど歓迎すべき状況でもない。頬を滑る感触が唇まで辿り着いてから、漸く我に返る。
 
目の前の青年の名を呼ぼうとしたその時、頤を軽く持ち上げられ、近付いてきた端正な顔に視界を埋め尽くされた。





・・・・・・・・・流石に私も同性とは経験がないのですが」
「ん?そうだね。僕もだよ」

 ぐい、と手の甲で唇を拭う。濡れた皮膚が熱を奪われて冷たいと感じるのに、同時に酷く熱いとも感じるのは何故だろう。
 僅かに距離をとった月が、同じ様に濡れた唇をちろりと舐める。その動きはある爬虫類を思い起こさせた。

「何故、ですか?」
「言っただろう?愛する人と抱き合う事で、幸福と快感の両方を味わう特権を与えられたのは、人間だけだって」

 竜崎はそれを知らなかったみたいだから。言葉で説明するよりも体験したほうが早いと思って。
 悪びれもせずに言う月に眉を寄せる。言っている事は分かるが、意味が分からない。そもそもただの暇潰しだった筈の話題から、何故こんな事になっているのだろう。
 くらくらと揺れる脳を叱咤しながら、どうにか声を絞り出す。

「愛されていたとは初耳です」
「だろうね。僕も今気付いたばかりだし」
「しかもその論理でいくと、私も月君の事を好きだと言うことになるのですが」
「だって嫌いじゃないだろう?」
「・・・・・・・」

 どんな理屈だ、と呆れる気持ちの方が大きくて、未だ体温を感じる程に近い距離に居る月をぐい、と押し遣る。けれど伸ばした腕は月に取られて、逆に引き寄せられてしまった。
 身体に回された手が背筋を撫でて、腰へと下りていく。ぎくりと強張った竜崎の耳に、密やかな声が忍び込んできた。




「僕は君が好きだと思うし、君も僕が嫌いじゃない」

「でも僕は男で、君も男だ。だから二人で子孫を残すことは出来ないし、進化を目的として選んだわけでもない」

「これは、人間だけに与えられた特権を感じる、絶好の機会だと思うんだけどね?」




 ゆっくりと、ゆっくりと囁かれる度に、薄く開かれた口から覗く舌。
 
赤く蠢くそれに、竜崎は、ああ、と思い至る。

 ああ。まるで、蛇の様だ。
 甘く、蠱惑的な言葉で人を罪へと導く悪魔の蛇。
 けれど、あの蛇は。

 服の裾から侵入してきた指に、最早逆らおうともせずに細く息を吐く。再び近付いてきた唇を受け入れてから、竜崎は目の前に流れる鳶色の髪を軽く引いた。

「月君はまるで神話に出てくる蛇のようです。その口から紡がれる言葉は、甘くて逆らい難い。堕ちると分かっていても従わずにはいられない響きがある」
「原罪の蛇?酷いな。・・・・誘いに乗らない選択だって、あったんだよ?」

 くすりと笑った月の瞳は、やはり見慣れない光を宿したままだった。

 そして蛇は罪を囁く。





「ねぇ、竜崎」


 知識の林檎の味を、知りたくはない?





 ゆっくりと、密やかに。
 耳から全身へと浸透していく毒に犯されながら、目蓋を伏せる。
 素肌に触れる指先が、熱い。

「月、君」

 なに、と返ってきた声は指先とは対照的に、酷く冷めていた。
 そして今、自らが吐く息も熱い。けれど頭の中は、真冬の湖面の様に静かに冷え切っている。
 何故かその温度差が今の自分達には相応しいような気がして、竜崎はゆるりと笑みを浮かべた。







「その実を差し出した蛇の末路を、知っていますか・・・・・?」






Lと月はもう、素直にいちゃついたりしないイメージが固定されてしまっています。
何故だ、おまい等・・・・・!!!

私がSSを書く時は、一応なんちゃってプロットのような物をたててから書き始めるのですが、プロット段階ではもう少しラブな感じで終わってたんですよ?
なのに出来上がってみると、なんとも冷めた二人に。
何故だ、おまい等・・・・・!!!(二回目)

ところでこのSS、大元はアダムとイヴの神話からですが、加悦サンその話を正確には知りません。
色々と可笑しい部分があっても突っ込んじゃイ・ヤv
では、最後まで読んで下さって有難うございました!


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