アンタは死んではいけなかった。
定期的に行われるテスト。ただの孤児院ではないこのハウスでは、至極当たり前の行事だった。
表向きは個々の卓越した才能を更に伸ばしていく為。本当の理由は世界の切り札とも呼ばれる人物の後継者を育てる為。
即ち、Lの。
「わー!メロ、すごーい!後一つで満点だったんだ!」
手にした答案を覗き込んだリンダが呑気な歓声をあげる。
一瞬、これぐらいのテストならそこそこいい点が取れて当たり前だろと言いそうになったが、目の端に映った彼女の点数がお世辞にも良いとは言えないものだった為、寸での所で咽喉元まで上がっていた言葉を飲み込んだ。
「え?どれどれー?」
「わ。ほんとだ。すげー!流石―!」
リンダの声で周りに居た奴らも集まって来て、俺は答案を仕舞うタイミングを逃してしまった。
けれど悪い気はしない。俺だって必死で努力してきたんだ。少しぐらい認められたいって気持ちがあったって良いだろう?
けれど、そんな気持ちは何時だってあいつに打ち砕かれる。
「ニアはまた満点だ!」
もう聞き飽きてしまったその一言に。
ハウスの奴らに囲まれるあいつの、何の感動もない飄々とした態度。興味無さ気にさっさと答案を仕舞い、何時もの様にジグソーパズルを取り出したかと思うと黙々とピースを嵌め込み始めた。
パチリ、パチリと音が響く毎に一人、また一人と周りの奴らも離れていく。それと同時に俺の苛立ちも募っていった。紙を握る手に力が入り、くしゃりと皺が寄る。
パチリ。
嵌め込まれた最後のピース。白地に浮かび上がった「L」の文字。
握り締めた紙は、ただの塵に成り下がっていた。
ざぁっ!
完成した直後、逆様に持ち上げられ零れ落ちるピースの音を聞きながら塵となった答案を投げ捨てる。
そして再び淀み無く繰り返されるパズルに。俺は一度床を蹴ってから自室へ向かって駆け出した。
「なんで・・・!何で勝てないんだ!」
憤りに任せて手当たり次第に部屋のものを蹴り飛ばす。騒音に耐えかねたのだろうマットと、普通に心配してくれたのだろうロジャーが交互に夕食を勧めに部屋を訪れたが、とてもそんな気分ではない。
俺が落ち着いたのは部屋の中で最初と同じ位置にあった物が一つもなくなった頃だった。
軽い息切れを起こしながら、どさりとベッドに転がる。もう今日はこのまま寝てしまおう。控え目なノック音が響いたのは、そう考えた俺が瞳を閉じたのと同時だった。
「・・・ロジャー?夕飯なら今日は要らないって言っただろ」
「いえ。私です。メロ」
「・・・・!L!?」
「はい。入ってもいいですか?」
「ちょっと待って!」
慌てて飛び起きて扉の鍵を開ける。勢いよく開いた先には、白いシャツに少し草臥れたジーンズ。相変わらずの猫背でLが立っていた。
「L!いつ帰ってきたの?」
「夕食の直前ですよ。メロが居ないので心配しました。元気そうで良かったです。しかし・・・」
濃い隈に縁取られた漆黒の瞳が何かを見透かす様にきょろりと動く。
首を傾げた俺を見て、Lはほんの少し笑ったようだった。
「ずいぶんと派手に模様替えしたみたいですね」
「あ!!」
忘れていた。振り向いた先にはついさっきまで俺に八つ当たりされていた家具やら道具やらが転がっている。ばつの悪さに頬が熱くなるのを感じた。
けれどLはそんな事お構い無しに部屋の中に足を踏み入れ、ベッドの上に腰掛ける。そして何時もの様に膝を抱えると、ぽんぽんと自分の横を叩いて座る様に促してきた。
「何があったか、聞いても良いですか?」
純粋な心配だけでは無い。幾分かの興味も混じっているLの態度は、逆に俺の気持ちを落ち着かせてくれた。Lの
要望に是と答えた俺は、少しだけ離れた位置に腰を下ろした。
「・・・・・俺だって頑張ってるつもりなんだ。なのにニアに勝てない。1番になれないんだ」
漸く語り終えた俺はLの隣で同じ様に膝を抱える。俺が話す間、Lは一言も発さずに黙って聞いていた。膝の上に顎を乗せてちらりと隣を見遣ると、じっと正面を見据えるLの口元には親指が添えられていて、カリカリと爪を噛む音が聞こえた。
束の間の沈黙が舞い降りる。
これ
以上語る言葉が見つからず、軽くため息をついた時、Lがポツリと口を開いた。
「何故メロは1番になりたいのですか?」
予想外の質問だった。
だってそれは当たり前の事で、「どうして」とか「何の為に」とか考える必要も無かったから。
「何故って・・・・だって・・・・」
戸惑いを隠せない俺にLは口元の手を離し、床に散らばっていた本を指先で摘み上げた。高く掲げてぱらぱらとページを捲りながら視線だけを俺に向ける。
「質問を変えましょうか。では何の1番になりたいのですか?」
「何の・・・・・」
「勉強ですか?それとも運動?1番と言っても色々ありますよ」
これも予想外の質問だ。
1番は1番で。それ以外の何者でもなくて。
そしてLを別にすれば、今の俺がハウスで1番だと思っているのはニア、で。だから悔しい訳で。
だんだん混乱してきた。
首を捻る俺にくすりと笑ったLは本を閉じると真っ直ぐにこちらを向いて座り直した。
「例えば、勉強で1番はニアかもしれない。けれど、絵で1番はリンダでしょうね。他人の気持ちに1番敏感なのはマットだと思います。そして行動力で言えば」
其処で一旦、言葉を切って爪を噛む。もうすっかり見慣れてしまったLの癖。
「行動力で言えば、1番はメロでしょうね」
その言葉は慰めとかでは無く、Lが認識している事実を述べただけの淡々としたものだったけれど。
俺は優しくて温かな光を与えられた様な、そんな穏やかさを感じた。
その穏やかさの中に、先のLの質問に対する答えを見つける。それは確かな答えに思えて、俺は勢い込んでLに詰め寄った。
「L!」
「はい」
「俺、Lみたいになりたい。だから1番になりたい。そんで、全部の1番になりたいんだ」
だって俺にとってLは全部の1番だったから。尊敬や憧れといった言葉位では表せない程大好きな存在。
深淵を思わせる漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。その瞳が僅かに揺れたように見えたのは、気のせいだったかもしれない。
「全部ですか。メロは欲張りで負けず嫌いですね」
「そうだよ。それも1番になってやるんだ」
にやりと笑って見せると、Lはそっと手を伸ばして俺の頭を撫でてくれた。
心地良い感触に目を細めた俺の耳に低い呟きが届く。
「貴方は純粋で真っ直ぐ過ぎる。私は少し、心配です」
思いがけない言葉に、俺は今日何度目になるか分からない疑問符を浮かべた。
「なんで?俺、もっと頑張るよ。Lが吃驚する位!」
「メロ・・・・。そう、ですね。楽しみにしていますよ」
そういって微笑んだLの顔は複雑で。そこにどんな感情が潜んでいたのか、その時の俺には分からなかった。
その後は二人で他愛も無い話をした。
俺はLに今まで解決した事件の話を請い、Lはそれに応じて2つ3つ話をしてくれた。
夢中になって聞いている内に部屋の中央に転がった時計は新しい日付を刻み始め、それに気付いたLが「今日は此処までにしましょう」と腰を上げた。
少し不満だったが、いつもなら他の奴等に囲まれているLを独占できた時間に免じて、素直に開放してやる事にする。
「今度はいつまで居られるの?」
「明日にはここを発ちます。今度は日本に行くんです」
「日本?」
「はい。そこで大きな事件が起きているんです。今回は長くかかるかもしれません」
そういって扉に手を掛けたLの顔は、正に『L』のそれだった。
細いのに広く見える背中が、Lの決意を表している。
「でもLが勝つんだろ?」
「はい。約束します」
力強く頷いて、Lが振り返る。
その時、俺の腹が盛大な音を奏でた。
「うはぁ・・・・・」
何もこんなタイミングで。
がっくりと頭を垂れた俺にくすくすと笑って、Lがジーンズのポケットを漁る。
差し出されたのは半分ほどの大きさまで齧られたチョコレートだった。
「夕飯を食べてないんでしょう?特別に私のおやつをあげます」
実は甘いものは余り好きではない。しかし何故か得意そうにチョコを差し出すLの笑顔に断るのも悪い気がして、俺は黙って受け取った。
ぱきりと乾いた音を立てて口の中に飛び込んできたそれは、予想通り酷く甘かった。
「・・・・甘い」
「糖分は脳に凄く良いんですよ」
「ふぅん」
細い指先が近付いて、口の端に付いた欠片を拭ってくれる。
貰ったチョコレートは酷く甘かったけれど、今まで口にしたどんな物よりも美味しいと思った。
「ご馳走様。ありがと」
「いえ。それでは、おやすみなさい。メロ」
「うん。おやすみ。L」
結局全部食べ切った俺にLは満足そうに笑って、一度だけ俺の頭を撫でるとぺたぺたと部屋を後にする。
俺は廊下まで出て行って、その後姿が小さくなるまで見送っていた。
「L。俺、全部の1番になるよ。そんで、Lの1番になる」
Lにも言わなかった、俺だけの誓い。
大好きな、大好きなL。
いつか、絶対に傍に行くから。Lと並んで歩いていけるように、精一杯頑張るから。
小さく呟いたその時、1度だけLが振り向いたような気がした。
それがLを見た、最後になるなんて思ってもいなかった。
『Lが死んだ』
その言葉は酷く衝撃的で。刃となって俺の心臓を貫いた。
約束したはずだった。必ず勝つと。
果たされなかった約束は、悲しいよりも悔しくて。
俺はその場を去ることしか出来なかった。
約束は果たされなかった。
そして、俺の誓いも破られた。
L。
L。
L。
アンタは死んではいけなかった。
俺が隣に立って歩いていくために。
君を手放した世界はこんなにも
色褪せて。
そしてこんなにも、意味が無い。
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