貴方は生きるべきだった。







 目の前に広げられた紙に書き込まれている所々文字が抜けた文章。その空欄を埋める作業は大して面白いものではなかった。計算式にだって興味は湧かない。そんな事をしている位だったらジグソーパズルを組み立てていた方が遙かにマシだ。
 しかしこの作業は義務付けられている。断る事は不可能だ。よって私は何時もの様に、このつまらない時間を出来るだけ早く終わらせるべくペンを握る。

「ニアはまた満点なんだね!」

 返却された用紙を覗き込んだ一人が感心した様に声を上げた。たちまち集まってくるハウスの人間達に、些かうんざりする感は否めない。これはただのパズルなんです。しかも極めて幼稚な。そう言う事が出来たらどれだけすっきりするだろう。
 口にしない代わりに私はジグソーパズルを始める。そうすれば自然を人の輪は崩れていく。そして何時もの様に突き刺さるような視線のみを残して平穏で退屈な日常に戻っていくのだ。
 真っ白なピースを嵌め込んでいく度に、私の心も白く澄んでいく様な気がする。右端から始めて、中央、左下へと白地を埋めていく。それは私の中を白く清めていく儀式の様で。無心に、穏やかに。私の時間は透き通っていく。しかし。


 ぱちり。


 左上に辿り着いた途端、その時間は終焉を迎える。

 
白い地に浮かび上がる1つの文字。
 
その小さな黒い文字は、瞬く間に私の心を黒く染め上げてしまうのだ。


 
ざあっ!


 
全てが黒く染まる前に。私は完成したパズルを崩す。それでも繰り返さずには居られない。白く、白く染める為に。黒く、黒く穢される為に。
 
散らばったピースを再び手に取り1つめを嵌め込んだその時、大きな音が響いて視界の端に走り去るメロの背中が映った。





「L!!」
「Lだ!お帰りなさい!!」
「はい。ただいま戻りました。皆さん、元気にしていましたか?」
 
彼はいつも突然姿を現す。誰もが彼の帰還を喜び、駆け寄る。恐らく素直に喜べないのは私だけだろう。
 
たくさんの笑顔に迎えられて同じ様に笑顔を返す彼を。視界に入れない様に私はその場を後にした。


 
部屋に戻ってジグソーパズルを取り出す。何故か完成するまでいつもより時間がかかった。
 
否。完成させる事が出来なかった。
 
左上の部分が空白のまま私の手が止まる。手にしたピースを何処に嵌めれば良いのか分かっているのに、手が動かない。彼が帰ってきた時はいつもそうだ。軽く溜息をつき、残りのピースをざらざらと手の平から零した時、控えめなノックの音が響いた。

「ニア。入っても?」
「・・・はい。どうぞ、L」

 
断ったところで、どうせ入ってくるくせに。
 
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、扉を開いた彼はポケットに手を突っ込んだままぺたぺたと歩み寄り、私の正面に膝を抱えて座る。真っ白なジグソーパズルに影が差し黒く浮かび上がるのを見て、私はパズルを持ち上げて崩した。
「聞きましたよ。また1番だったそうですね」
 
ぱちりとピースを嵌め込む。いつも一番に埋めてしまう右上の角。それから左に向かって3ピース。下に5ピース。影がかからない様に位置をずらしてパズルを組み立てる。
「凄いですね」
 
何の抑揚も無く告げた彼の言葉が、酷く癇に障った。


「あんなもの、1番とは言えません。貴方だってそう思っているくせに」


 
我ながら冷え冷えとした声が響く。一瞬呆けた様な表情を見せた彼は、次の瞬間にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「反抗期ですか?」
 
全くもってふざけている。からかわれている事に気付いた私は返答を避けて新たなピースを嵌め込んだ。
「ニア?怒りました?」
「怒っていません」
 
黙々と手を動かす私ににじり寄った彼が覗き込んでくる。視線を合わせない私を見て、「怒っているじゃないですか・・・」と肩を落とす彼は、その背に負った二つ名は幻ではないのかと思わせる様相だ。


 
けれど、彼は間違いなくLなのだ。
 
私達が目指す1番。追いかける存在。


 
その彼に「テストが1番で凄い」などと。褒められていると思える方がおかしい。

「それでもメロは、貴方に負けて悔しいようですよ」
 
内心の声が聞こえていたかの様なLの言葉にぎくりとする。取り落としたピースに細長い指が近付いて拾い上げる。しかしそのピースは使用される事なく放り出され、目の前の指先が摘み上げたのは別のものだった。

 
ぱちり。

 
嵌め込まれたのは左上のピース。そして再び彼の指は次のピースを探して彷徨う。直ぐに目的のものを見つけて、嵌め込む。
 
間断なく繰り返される動作。瞬く間に左上のスペースに一つの文字が姿を現した。




『 L 』




 
彼が帰ってきた時は組み立てる事が出来ない、その文字。それが今、彼自身の手によって完成される。
 
私は、その文字に心を黒く染められる。だからこそ最後にその部分を組み立てる。そして完成と同時に崩してしまうのに。


 
彼の手によって完成したその文字は、彼の指先でなぞられて、微かな光さえ放ったようだった。


「L」
「はい?」
「・・・・私は、貴方が嫌いです」
 
知らず握り締めていた手に力が入る。
 
真っ直ぐに彼を見つめて告げると、彼は少しだけ眉を寄せて私の言葉を反芻した。
「嫌い・・・。それは寂しいです。私はニアの事好きなんですが」
「でも私は嫌いなんです」
 
白々しい台詞に、私の眉間にも皺が寄るのを感じる。
 
それでも首を傾げた彼の姿に軽い罪悪感を覚える。そのせいだろう。何故、という彼の質問に私が素直に答えたのは。


「貴方は余りに遠過ぎて、余りに大き過ぎる。私は貴方に追い付く事が出来ない。貴方を超える事が出来ない」

「だから、嫌いなんです」


 
最後の台詞を発する時、私は彼の顔を見る事が出来なかった。一つ言葉を重ねる毎に、彼の顔が私の予想に反したものへと変わっていった為に。

「私を、超えたいんですか」
 
悪戯っぽく笑みを含んだ声音に、心情を吐露した事を後悔する。視線を落とした先に何かカラフルな包みが映り込み、それが棒つきのキャンディだと気付くのに少しの時間を要した。
 
ずい、と差し出され訳も分からず受け取る。ふと顔を上げると、其処には先程の表情が嘘の様に翳りを帯びた瞳と出会った。


「ニア」


 
低く、名を呼んでくる。それだけで。
 
その声と、瞳だけで。

 
私達が追いつけない様に超えられないと思わせる為に、彼がどれだけの努力と犠牲を払ってきたのか。
 
私は突然理解した。



 L

 
そんなにも『L』の名は重いのですか。丸められた背中はその名の重さを示しているのですか。
 
深く底の見えない瞳は、光も射さないほどの闇を見てきたのですか。

 
貴方の努力はハウスの存在意義に反する。
 
それでも。
 
そうまでして。

 
私達に貴方と同じ思いはさせまいと、前に進んで行くのですか。



 
膝をつき漆黒の髪に縁取られた白い頬に手を伸ばす。
 
黙って私の手を受け入れた彼がゆっくりと瞬く。再び開かれた瞳に、先の翳りは見られなかった。
「ニアの手は小さいですね」
「・・・・まだ成長期ですから」
 
話をはぐらかす為の彼の言葉は、もう私を煩わせる事はなかった。

「L。さっきの言葉は、嘘です」
「さっきの?」
「嫌いだ、と言うのは、嘘です。貴方の事は大切ですし、好きです」
 
触れた手を下ろして呟くと、彼は嬉しそうに笑った。私も笑顔を浮かべたかもしれない。ぎこちなく吊り上る口元を笑顔と呼べるのなら。
 
だが私が本当に伝えたいのはこんな事ではない。もうこんな時間ですね、と立ち上がり扉に向かう彼の背中を真っ直ぐに見つめて、口を開く。


「私は貴方を超える努力を怠ろうとは思いません」


 
彼の動きが止まる。肩越しの瞳は真意を見透かそうと大きく見開かれていた。
「貴方を継ぐ事、貴方を超える事は私がここに居る意味であり、私の存在する意味でもあります。恐らくそれはメロも同じです」
 
貴方と言う存在は大き過ぎて超える事がどれだけ困難であろうとも。貴方がそれを望んでいなくとも。私達に安穏とした人生を歩んで欲しいと願っていても。
 
今の私はまだ貴方の足元にも及ばないけれども、それは揺ぎ無い私の望み。

「私はいつか必ず、貴方を超えます」

 
見開かれた瞳が僅かに細められる。
 
扉に掛けた手を離し身体ごと向き直った彼は、再び私の正面に座り込むと穏やかな笑顔を浮かべた。
「そうですね。貴方やメロが私を超える日を楽しみにしていますよ」
 
じっと見つめる私にゆっくりと手を伸ばす。
「もちろん簡単に超えさせるつもりはありませんが。私、負けず嫌いですからね」
 そ
う言って髪を撫でてくれた細くて少し冷たい指先が、気持ち良いと素直に思った。






『Lが死んだ』

 
その宣言は重く。静かに私の心に染み込んで行った。
 
死んでしまっては、何もならない。
 
死んでしまっては、もう二度と私は貴方を超える事は出来ない。



 L
。私はやっぱり貴方が嫌いです。

 
大好きで大切ですが、大嫌いです。


 L


 L


 L



 
貴方は生きるべきだった。
 
少なくとも、私が貴方を超えるまでは。



 
君を手放した世界はこんなにも

 
愚かしく。
 そして、酷く滑稽だ。








ニア編。ニアのLに対する感情は少しひねくれていると思います(笑)
もちろん大好きなんだけど、一人では超えられない程大きいLの存在がムカつく。みたいな。
ツンデレです。Lはそんなニアの気持ちを解ってると良い。
ツンだろうがデレだろうが可愛いなーとか。妄想。
(’08.9.9)

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