僕は決して同性愛者ではない。綺麗な女性を見かければ「綺麗だな」思いもするし、そういった類の雑誌だって読むことはある。交際と言うものに全く興味が無いわけでもないし、それなりに場数も踏んできた。どれも本気ではなかったではないかと言われてしまえばその通りなのだが、それは僕の責任ではない。ただ僕は容姿よりも頭の回転、つまり理知的且つ刺激的な会話が出来る相手の方が好みであったと言うだけだ。もちろん容姿が整っているにこした事は無い。だが、綺麗ではあるけれど頭の悪い本音だけが駄々漏れの人間よりは、多少癖のある外見であっても言葉の裏に裏を隠せる、若しくは僕の言葉の裏の裏まで読める人間を選ぶだろう。好みとはそう言うものだ。


 だから僕が彼に惹かれるのは仕方の無いことなのだ。


 彼は控えめに言っても奇妙な外見の持ち主だった。青白い肌にぼさぼさの髪、の間から覗くぎょろりとした瞳。それを縁取るのは、いったい何日睡眠を取らなければここまでになるのだろうと不思議に思うほどくっきりと浮かび上がった隈。細長い背は常に丸められているし、長く伸びた足も折り曲げて抱えられている。裸足の指はごそごそと落ち着き無く動かされているし、白く細い手指は角砂糖やらキーボードやら書類やらと、これも落ち着き無く彷徨っている。偶に大人しいと思えば、その指は彼の口元に運ばれ、爪を噛んだり唇を弄ったりとまるで不安定な子供の様だ。

 
けれど、彼との会話は未だ嘗てないほどに僕の心を沸き上がらせた。

 嘘の裏の嘘。嘘の裏の真実。真実の裏の嘘。どんな手法を用いても彼はじっと僕を見詰めた後、無表情な笑みを浮かべて的確に返してきた。嘘の裏の嘘、の裏の嘘。真実と見せかけた偽り。かと思えば真実のみを真っ直ぐに。情けない事にそんな彼の話術に振り回されることも少なくはない。そして翻弄されつつも僕は彼との会話が楽しくて仕方がなかった。そうなると人間とは不思議なもので、彼との会話が好ましいだけだった筈であるのに、会話を重ねる毎に奇妙な彼の外見や行動すらもどこか憎めない、有態に言えば可愛らしいと思い始めたりするのだ。

 ある日何時もの様に議論を交わしていた僕は、ふとした瞬間に下から覗き込むようにして見詰める彼の瞳に頭の中が真っ白になる感触を覚えた。突然止まってしまった脳に、何か話さなければと焦りにも似た気持ちが湧いて、気付いた時には僕は彼の手を取って好きだと告げていた。告げられた彼は大きな瞳を更に大きく見開いたが、次の瞬間にはゆらりと目を細めて何時もの無表情な笑みではない笑顔を浮かべて言った。

「やっと捕まえました」

 その言葉は身体の中で反響し、結果僕は芸もなく彼を抱き締めてしまったのだった。



 僕は決して同性愛者ではない。けれども同時に全くの朴念仁でもないから、好きな相手がいればそれ相応の行為もしたくなると言うもの。彼と気持ちが通じて以来、僕は何とかして彼を本当の意味で手に入れようと奮闘したが、当の彼の行動は以前と同じ、いやそれ以上にそっけないものへと変わってしまった。

 いや、正確に言えば初めの内はそうでもなかった。何かの拍子に指先が触れるとほんの少し目を細め、視線が合うと口元を緩めて秘密の合図のように首を傾げてくれる。触れるだけの口付けは何だか恥ずかしくて、二人でひっそりと笑い合った。僕等には似合わない、まるで幼い子供のような恋。
 けれど、それが続いたのはほんの数日だけだった。それまでの幼稚な付き合いも悪くはなかったけれど、更なる発展を望んだ僕に突き付けられたのは、手の平を返した様な彼の冷たい態度だった。
 
名を呼んでも返ってくるのは低く不機嫌そうな声。近付こうとすれば彼の口から他の人間の名前が飛び出し、宙に浮く僕の手。彼の周囲に渦巻く、二人きりになるまいとする空気がありありと読み取れた。

 これはあれだろうか。『釣った魚に餌はやらない』

 持て余したもやもやと燻る気持ちは苛立ちへと深まっていく。今まで僕は、自分は感情をコントロールするのは得意な方だと思っていた。しかし現状、僕は胸内で膨れ上がる感情をどうすることも出来ずにただ日々を過ごすしかない。時々能天気な刑事の声に苛ついて、つい冷たく当たってしまうこともあったが、まぁそれはどうでもいいだろう。問題は彼の態度の変化と、僕のこの情けない状況だ。
 こういう時どう動くのが得策なのか、僕には全く分らないのだ。考えて見れば、今まで付き合ってきた相手は、全部向こうから告白してきて僕が応えるというパターンばかりで、僕から好きになったことが無い。だから離れていく相手を引き止める方法なんて知る必要が無かった。こういう時どうすればいい。何を言えばいい。色々と悩ましいところだが、それ以上に僕ばかりが振り回されている状況が酷く悔しい。
 結局僕はじわじわと態度で壁を作る彼に、直接的な言葉をもって対決する方法を選んだのだった。



 
何時もの如く、近付く僕を察して近くの人間を呼ぶ彼。それがたまたま僕にとって如何でも良い人物だったのを良い事に、僕はその人物を押し退けて彼の腕を取った。間の抜けた声と不機嫌そうな声が重なったが構わずに部屋を出る。二人きりになった所で振り返ると、彼は鋭い視線を僕に向けてきた。
 怯まなかったと言えば嘘になる。本格的に嫌われたかもしれないと言う恐怖も。ただそれ以上に悔しかった。負けじと同じ強さで視線を返して口を開く。
「・・・・・釣った魚だって、餌をやらなければ死んでしまうんだよ?」
 言ってしまってから、僕はその場から逃げ出したい気持ちで一杯になった。本当はもっと辛辣で、彼を怯ませる位の言葉を投げ付ける筈だったのに、何だこの情けない台詞は。これでは寂しいと、寂しくて堪らないと言っているようなものではないか。
 間違いなく彼はこの愚かな発言に対して嘲笑で返してくる。己の余りの馬鹿さ加減に内心舌打ちしたが、予想に反して彼は軽く首を傾げただけだった。
「それは、おかしいです」
 
 いや、おかしいのは君の方だろう。僕の何がおかしいんだ。いや確かに今の台詞は如何かと思うが、彼が言っているのはそういう事ではないだろう。

「釣り上げた後、水槽に閉じ込めた覚えはありません。餌など幾等でも探せる筈です」

 海で釣った魚を海に返したところで餌に困るはずが無い。だから死ぬわけが無い。
 真顔で淡々と言う彼は、自分がどれだけ酷い事を言っているのか分っているのだろうか。それは「遊び」だったと告げているようなものだ。足元から崩れていくような錯覚を覚える。普通の人間であれば泣き叫んで相手をなじるところだろうが、生憎というか幸いと言うか、僕のプライドはそれを許さなかった。精一杯の虚勢を保ち口角を釣り上げてみせる。
「随分と高尚な趣味だね」
「釣りとはそういうものでしょう?」
「普通の釣りなら、ね」
 ああ駄目だ。声が震えている気がする。もうこれ以上の会話は無意味だ。悔しくて、情けなくて、悲しい。こんな無様な姿は見せたくない。
 掴んだままだった彼の腕を放して、連れ出した事を謝罪し身を返そうとした僕を引き止めたのは、たった今離したばかりの彼の手だった。
「釣って、離して、また釣る。だから楽しいと思うのですが」
「・・・・・だから普通の釣りなら、ね」
「普通の、ではなくてもです」
 わざわざ追い討ちをかける為に引き止めたのか。そしてそれをわざわざ素直に聞いて再び傷付いている自分も馬鹿みたいだ。自嘲して彼の手を振り払おうとしたが、彼は手を離す所か更に力を込めてきた。苛立ちを込めて彼を見遣ると、予想以上に真剣な瞳が此方を向いていた。

「また釣る、から、楽しいんです」

 ゆっくりと区切られた言葉は一つの可能性を示していて、放されない腕は僅かな期待を含んでいた。ただ、示されたそれらに素直に喜ぶには、僕は彼に振り回され過ぎた。
「海には他にも沢山魚がいるよ?同じ魚が寄って来るとも限らないし、寄って来たとしても釣れる可能性は低いだろうね」
 これ以上彼の思惑通りになってやるわけにはいかない。僕は決して同性愛者ではないから、もっと可愛い異性と付き合うことだって出来るし、同時に全くの朴念仁でもないから、その異性と深い間柄になる事だって可能だ。更に言えば手酷く傷付けられて笑っていられるような善人でもないから、簡単に許すことは出来ない。

「釣ってみせますよ、必ず」

 ただ、同性愛者ではないけれど目の前で何故か偉そうに豪語している相手が好きで、全くの朴念仁でもないけれど彼しか欲しくなくて、真っ白な善人でもないけれど彼の言葉に期待してしまうのだ。
「・・・・そう。それじゃせいぜい頑張って」
「はい。頑張ります」
 大きく頷いた彼は、掴んでいた腕を離して元の部屋へと戻って行った。もう一度釣ろうとするならば何故手放したりするのだろう。丸められた背中を見送りながら、密かに首を傾げた僕の内心が通じた訳でもないのだろうが、ふと立ち止まった彼は身体ごとぐるりとこちらを振り向いて口を開いた。


「色々な貴方が見てみたいのです。私が手放した後、警戒している貴方を再び手に入れようとした時、手に入れた時、貴方はどんな表情を見せてくれるのか。それが楽しみなんです」
 だから早く釣られて下さいね。
 そう言って笑う彼に、僕は諦めにも似た溜息を零す以外に方法がなかった。





キャッチアンドリリース
 (アンド キャッチ。)









おや?なにやらLが酷い男のような(笑)
此処まで振り回されているのは、多分白月君の方でしょうね。
黒月君ならば意地を張るか、仕返しでもしそうです。
それはそれでこのLは楽しんでしまうのでしょうが(笑)
最後まで読んで下さって有難うございました!

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