丁寧な言葉遣いと言うものは、他者との会話を円滑にする役割も持つけれど。

 自身と他人を隔てる為の壁にも成り得るのだ。




言の葉






「私と共に、来るかね?」

 豊かな髭を蓄えた口元を優しく綻ばせて、老紳士が尋ねる。

「・・・・・・はい。宜しくお願いします」

 酷く固い声が返る。抑揚の無いそれは、まだ幼い子供の口から発されていた。

「ああ。こちらこそ宜しく」

 右手に嵌めていた手袋を外し、老紳士が少年に向かって手を差し出す。

 皺だらけの手をじっと眺めていた少年は、ややあってから無言のまま受け入れた。








「エル。私にそんな敬語を使う必要はないんだよ」

 共に暮らし始めてから数ヶ月。少年の年齢には似つかわしくない言葉に、何度苦言を呈しただろう。

「貴方は私より年上です。目上の人物にはそれ相応の言葉遣いが必要だと思います」

 数え切れないほど繰り返された会話は今回も平行線のままで。

 無表情のまま返す少年の背を眺めながら、老紳士は密かに溜息をついた。








「ワタリは私に嘘を言ったのか。言葉で隔てる必要はないというのは、嘘だったのか!」

「そうではありません、L!ただ私が組織の前に出るならば、彼等に私と貴方の立場の違いを知らしめねばならないのです!」

 少年から青年へと成長した彼の強い言葉に、こちらは余り大きな変化は見られない老紳士が必死で言い募る。

「それは詭弁だ、ワタリ。お前は私との言葉を違えた。違えた約束には偽りで返そう。私の真実は私だけのものにして、お前には渡さない」

「L!」

「それが嫌だと言うのなら、今直ぐにその言葉を止めろ」

 峻烈な言葉とは対照的な冷たい一瞥に、言いようの無い焦燥感を覚えて老紳士が一歩歩み寄る。

 しかし、その足は自らが作った壁に遮られて、青年の元に辿り着く事は出来なかった。








「・・・・・・っ」
 かくん、と崩れた頭にワタリははっと目を見開いた。数回瞬いた後、視界に映る光景に小さく息を吐く。
 薄暗い室内に所狭しと置かれたモニターが無機質な灯りを放っている。正面の画面には、捜査本部の様子とワタリが最も信頼し慈しんでいる人物が映し出されるはずであったが、今現在その人物の姿は無く、椅子だけが所在無げに背を向けていた。

「少し眠ってしまっていたのでしょうか・・・・」
 眼鏡を外して指で目頭を押さえる。時計の針は最後に見た時から5分ほどしか進んではいなかった。それでも転寝には違いない。しかも何か懐かしい夢を見ていた様な気もする。

 なんとも情けない。

 外した眼鏡を掛け直し、己を叱咤する様に軽く首を振ってから再びモニターへと向き直る。
 その時、しゅ、という微かな音と共に背後の扉が開いた。

 この部屋の場所を知っているのは一人しかいない。
 よって訪れたのは間違いなく、その人物であろうけれども。

「どうしました?」

 キラ事件の捜査が始まって以来、この部屋には訪れた事の無い青年の登場に少なからず驚いたワタリが身体ごと振り向いて問う。何処で何をしていたものか。目の前の青年は濡れそぼっており、髪からぱたぱたと雫を滴らせていた。
 何か拭くものを。立ち上がりかけたワタリの耳に微かな声が届く。

「・・・・・?すいません。今、何と?」

 
余りに小さなそれを完全に聞き取る事が出来ずに、再度問いかける。取り敢えず顔だけでも、と取り出したハンカチを手にして青年の元へと歩み寄ろうとした時、今度ははっきりと相手の声が耳に届いた。
 届くと同時にワタリの動きが止まる。


「なんでもない・・・・・・です」


 言葉の最後に付け足された丁寧語。
 
僅かに目を見開いたワタリは、一度だけハンカチを握った手に力を込めてからそっと青年の傍に歩み寄った。


「・・・・・どうした?」


 ゆっくりと相手の顔を拭いながら、意図的に言葉遣いを変える。ぴくりと相手の指先が震えるのを見たが、それには気付かない振りをした。
 青白い頬に張り付いた髪をそっと払う。


「どうした、L?何があった」

「すみません。・・・・なんでもないんです」


 ふるふると振られる頭と変わらない言葉遣いに、微かに胸が軋む音を聞く。青年と同じにびしょ濡れになってしまったハンカチを傍の棚に置いて、ワタリは困った様に、そして懐かしむ様に微笑んだ。


「まるで初めて出会った頃のようだな」


 唐突な言葉に、不可解そうにちらりと見上げてくる漆黒の瞳。微笑んだままそれに頷いたワタリは腕を伸ばして青年の頭を撫でた。既に自分より大きくなってしまった彼。けれど掌に感じる髪も熱も、あの頃と変わらない。

「君はなかなか心を開いてくれずに、私は随分苦労したものだよ。何度言っても丁寧な言葉遣いは変わらずに、ひょっとして嫌われているんじゃないかと何度も思った」

「そりゃ突然現れて『共に来い』なんて言う人をすぐには信じられるはず無いじゃないですか・・・」

 少しばかり拗ねた様な声に「それはそうだな」とにこやかに返す。


「だから、嬉しかったよ。君が初めて対等な言葉遣いをしてくれた時は」


 漸く自分を信じてくれたのだと。彼の領域に迎え入れてもらったのだと、本当に嬉しかった。
 甘える事を知らない彼の拠り所になれると。そう感じて、嫌がる彼を思いっきり抱き締めたこともつい先日の事の様に思い出せる。


「・・・・その代わり、直ぐに貴方の方が敬語になってしまいましたけどね」


 ふい、と外された視線に苦笑を禁じ得ない。

 それは彼が『L』となった日だった。世界の切り札とまで言われるようになった彼と、そのサポートでしかない自分。己を蔑む訳ではない。ただ、それぞれの立場の違いを周囲にはっきりと示しておく必要があると感じただけの話だ。
 様々な機関が注目する中で、『名探偵』と『代弁者』が対等な言葉遣いをするわけにはいかない。『代弁者』は『名探偵』と直接連絡を取ることが出来る。しかし所詮は『名探偵』の手足に過ぎないのだ、と。

 彼にとってはくだらない事だったかもしれない。しかし組織というものは時として、そのくだらない事に敏感であり、狭量であるものだ。
 納得出来ないと憤慨する彼をあの手この手で宥めた事も、今では良い思い出と言える・・・・だろうか?

 当時の苦労を思い出してワタリは含み笑いを漏らした。理屈っぽい彼を説得するのは、本当に骨が折れた。あの時はしぶしぶながらも納得してくれたと思っていたが、今になってそんな事を言い出すとは、実は未だに納得していなかったのかもしれない。


 ぽんぽんと軽く相手の頭を撫でてから椅子に促す。大人しく腰掛けた彼を置いて一旦部屋を後にしたワタリは、すぐにバスタオルを手にして戻ってきた。

「L」

 大きく広げたタオルで青年を包み、優しく拭きながら口を開く。

「私達は長い間一緒に居たけれど、同じ言葉で話した事は無かったな」

 目を細めてされるがままになっていた青年が、驚いた様に仰ぎ見た。



 最初は彼が言葉によって壁を作った。
 その次はワタリ自身が。
 そして今また、彼が。
 それでもワタリは、二人の間に確かなものが存在すると信じていた。



「家族よりも、もっと強くて温かい絆があると。思っていたのは私だけか?君の真実は、未だに君だけのものだろうか」



 そっと膝を付き、問い掛ける。
 
あの日、告げた台詞を彼自身も覚えているのだろう。ワタリの動きを追って下がった視線が、少しだけ居心地悪そうにふらふらと彷徨った。
 意地の悪い質問だという自覚はある。彼が返す答えも知っている。
 ワタリは豊かな髭に隠して僅かに笑みを漏らした。



「・・・・・忘れていた。そういう男だったな、お前は。人が良さそうに見せ掛けて、実は底意地が悪い」

「おや。人聞きの悪い」



 ワタリの口元の変化を目聡く見つけた青年が、不機嫌そうに呟く。殊更澄まして返したワタリをじろりと睨んでから、業とらしく大きな溜息をつく。
 
問い掛けた内容に沿う台詞ではなかったが、元に戻った口調と取り繕いもしない表情に全ての答えが込められていた。

「それで?何があった?」

 拭き終わった髪を手で撫で付けながら再び問うたワタリに、今度は誤魔化す事はせず、青年はぽつりぽつりと話し始めた。
 降りしきる雨音すら掻き消すほどに鳴り響く、鐘の音の事。
 そして、ある人物と交わした会話を。


「鐘の音が、五月蝿い。けれど同時に、あの日ワタリに引かれた手の温もりも思い出すんだ」


 不可解な現象が煩わしい。けれど切ない位に愛おしい。だから如何したら良いのか分からない。言葉を切った青年はもどかしそうにシャツを握り締めた。
 その姿に、ワタリは黙ったままそっと青年の手の上に己の手を重ねる。

「・・・・15分だけ、休憩しよう。少し疲れているようだ。私も、君も」

 答えになっていない言葉に、青年の顔が僅かに歪む。
 しかし、次のワタリの提案に次第に表情が和らいでいった。

「束の間の、家族の団欒といこうじゃないか」
「・・・・紅茶とケーキが無いと嫌だ」

 悪戯っぽく光る瞳にやれやれと肩を竦めて、ワタリは団欒の為の準備に取り掛かったのだった。

















 突然、胸に激痛が走った。
 全身に噴き出した冷汗と襲い来る息苦しさと。
 霞む視界に必死で腕を伸ばす。

「ワタリ・・・・?」

 モニターに映るのは、つい先程までこの部屋にいた青年。
 訝しげに、焦った様に、そして不安そうに。
 呼び掛ける声に、もう答えられそうも無い。

「・・・・ワタリ!」

 漸く本当に通い合った互いの気持ち。
 最期を迎える前に繋がる事が出来た事を喜べば良いのか。
 繋がる事が出来た途端に最期を迎えた事を悲しめば良いのか。
 ワタリ自身も分からぬままに、指先に触れたスイッチを押す。

「ワタ・・・・!」

 途切れた彼の声に、先とは違う胸の痛みを感じる。
 ああ。矢張り、早過ぎる。
 これからであったのに。
 これからである筈なのに。

「・・・・ル・・・・」

 
暗転する視界。
 力を失う躯。
 震える唇から押し出された吐息は形を成さず。


 
ワタリの意識と共に、虚空へと溶けて消えていった。












「全く。手のかかる子ほど可愛いと言うのは本当だよ」
「・・・・・・・・ワタリの様な意地の悪い親はごめんだ」





あああ何て言うかもうゴメンナサイぃぃ〜〜!!;;
暗いですか暗いですよね私的にはそうでも無いつもりなんですけど!

単にですね、アニメでワタリがLに「どうしました?・・・・・どうした」って言っているのを聞いてですね
ああきっと昔はどっちも敬語じゃなかったんだー!「L」として活動する前は対等な言葉遣いだったんだー!
・・・・そんな妄想が止まらなくなった結果です。
映画でもミサに「お父さんですか?」って聞かれたワタリが少し嬉しそうに見えましたしね。
二人の絆が好きでたまらんのです・・・・!!

死ネタ多くて申し訳ありませぬ・・・・orz

では、最後まで読んで下さって有難うございました!

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