朝目覚めると、時計は既に通勤ラッシュを見事生き延びた駅員同士が互いの健闘を称え合っているだろう時間を指していた。

「う、わわわわ・・・・!!お、怒られる・・・!!」

 
慌てて跳ね起きて、派手な足音を立てながら洗面所に駆け込む。
 
申し訳程度に顔を濡らして、嗽だけ実行。顔を上げると、鏡の中からぼさぼさの髪に無精髭を生やした情けない男の顔がこちらを見ていた。

「うっわ・・・・。カッコ悪〜〜・・・・」

 
嘆いてみても時間が巻き戻るわけではない。
 
滅多に使用しない冷蔵庫に奇跡的に残っていた缶コーヒーを手に、ネクタイを結ぶ手間も惜しんで、松田桃太は半泣きになりながら玄関を飛び出した。




 With tea, the cake, and the talk




 
息を切らし辿り着いたのは、万全のセキュリティを誇る25階建てのビル。現在彼が身を置いている捜査本部はその中にあった。
 
普段なら頼もしい2重3重の警備施設も、今は手間がかかり煩わしいばかりだ。

「す、すみません!!遅くなりました!!」
 
 
漸く立ち入りを許可され、目指した先は巨大なモニターを設置してある一室。其処には年齢は不詳であるが多分自分よりは年下であろう(と、彼が勝手に思っている)上司が居るはずだ。常識を超えた甘党の割になかなかに辛口な上司は、松田が何か失敗する度に冷ややかな視線と容赦ない台詞を投げかけてくれる。
 
立ち直りが早いのは自分の長所だと思っている。何を言われても数時間で立ち直る自信もある。
 
しかし、一風変わったこの上司を密かに尊敬している彼としては、これ以上評価を下げたくないというのが本音だ。

「もう二度と遅刻しません!クビだけは勘弁してくださ・・・・あ、あれ?」

 
脳貧血でも起こそうかという勢いで頭を下げた彼は、視線の先にいつもの様にモニターに向かう猫背が見えない事に首を傾げた。
 
よくよく見渡せば、もう一人の上司である精悍な顔付きの中に穏やかさを湛えた壮年の刑事や、その他の同僚達の姿も見当たらない。

「あっれー?」
 
気の抜けた中にも一抹の不安を滲ませるという些か器用な声を上げて、松田は傾げた首を更に傾かせる。
 
身体の構造上これ以上は傾かない所まで首を曲げた所で、背後の扉が小さな音を立てて開いた。



「・・・・松田さん?何か忘れ物でも?」

「あ!竜崎!」



 
不審気な声に振り返ると、そこにはティーポットとカップを手にした上司がのっそりと立っていた。
 笑顔を見せるでもなくじっと見詰めてくる竜崎に、まるで迷子の子供が漸く親に見つけて貰った様な気持ちになって、松田は勢い良く駆け寄り抱きつく。
「良かったです〜!誰も居ないから心配してたんですよう〜!」
 
同じ位の身長の男に抱き付かれ嫌そうに顔を顰めた竜崎は、取り敢えず紅茶が零れないように腕を掲げた。
「心配?誰も居なくて当然じゃないですか」
 
どうにか体勢を整えて、塞がっている両手の代わりに足を持ち上げて未だに鬱陶しく纏わり付いている男を押し退ける。「あっ!竜崎冷たい!」と抗議の声を上げた松田だったが、竜崎の言葉に一旦退いていた疑問符を再び頭上に撒き散らした。



「今日は捜査はお休みの筈ですが?」

「・・・・・・・へ?あ・・・あぁっ!?」



 
竜崎の言葉に頭上の疑問符を感嘆符へと置き換えた松田がそう言えばそうだった!と両手を打ち付ける。
え・・・えへへ・・・・」
 
決まり悪そうに頭を掻いて笑う松田に、竜崎は心底呆れた様な表情を向けたのだった。











「全く・・・。普通休みと言ったら皆喜ぶものでしょうに。どうして忘れますかねぇ・・・」
「や、だって!最近休みとは縁がなかったものですから、つい・・!というか竜崎、いい加減虐めないでくださいよぉ〜・・・」

 
成り行きで竜崎の運んできた紅茶を相伴していた松田は、じっとりとした視線と共に何度目になるか分からない嫌味を受けて、情けなく眉を下げる。そろそろ紅茶の味も分からなくなってしまいそうだ。
 
何故かいつも以上に不機嫌そうな彼の上司は、これまたいつも以上に大量の砂糖をカップに放り込んでいた。
「大体竜崎だってここに居たじゃないですかぁ〜」
 
竜崎だって今日はお休みのはずでしょ?と小さな反撃の糸口を掴んだ松田が少しばかり得意そうに身を乗り出す。
 
僅かに目を細めて口につけたカップを下ろした竜崎は、今度は右手を口元に運んでかしりと爪を噛んだ。
・・・・・そうですね。確かに私も今日は休みです」
「でしょー?」
 
してやったりと笑う松田に向かって小さく溜息をつくと、竜崎はポケットに転がっていた飴玉を取り出し口に放り込んだ。




「ええ。『キラ事件の捜査』はお休みです」




 
強調された単語に松田の表情が固まる。
 
固まったままに言葉の意味を理解しようとしているのだろう、満面の笑みで顔色だけ変わっていく様はなかなか興味深いと、竜崎は口の中で飴を転がしながら観察していた。
 
漸く意味を全て理解したらしい松田が恐る恐る口を開く。

「えー・・・っと。それはつまり、他の仕事の為にここに居たと?」
「正解です。別にキラが存在するからといって犯罪が全く起きないわけではありませんから」

 
事も無げに答えた竜崎は顔色に沿った表情へと変わった松田に興味が無くなったらしく、残った紅茶を一息に飲み干すとソファから飛び降りてパソコンに向かった。

 
暫し手にしたファイルに目を通し、次いで素早くキーボードを叩く。繋がった回線に向かって松田にはさっぱり分からない言葉で話しかける。モニター越しの相手が(恐らく)礼を述べるとさっさと回線を切り、次のファイルへと手を伸ばす。

 
その流れを3回ほど繰り返すのをボンヤリと見ていた松田は、はっと我に返って慌てて手にしたカップを置き竜崎の傍へと駆け寄った。

「ちょ、ちょっと待って下さい!それじゃ竜崎は休みなんて無いんですか!?」
「はい?私が休んだら事件はどれも解決しないじゃないですか」
「うっわ、その自信が何となくムカつきます・・・・じゃなくって!」
「?何なんですか、もう」

 
驚く松田の態度こそ訳が分からないといった様子で竜崎が顔を顰める。
 
松田に言わせれば、休みが無いという事を至極当然に受け止めている竜崎の方こそ分からない。そして彼は両手を大きく広げて力説し始めた。

「休みって言うのは大切だと思うんですよ!仕事のストレスとか身体の疲れとかをリセットしてですね、明日も頑張ろうって言うか!ずっと働きっぱなしじゃ頭の回転だって落ちますよ、絶対!竜崎だって仕事以外でやってみたい事とかあるでしょう?どこかに出掛けたいとか食事しに行ってみたい所とか・・・」
「松田さん」

 
滔々と語る松田を手で制し、小さく溜息をついた竜崎は膝を抱えたままくるりと椅子を回転させる。


「まず休みが大切だという点。それは同意します。ですから今日皆さんに休んで頂いたんです」
 
まぁ、忘れて出てくる方も居ましたが。

 
ちくりと皮肉を言ってみるも、真剣に聞いている松田は気付かない。それに詰まらなさそうに視線を泳がせて続ける。

「次に働き続ける事で頭の回転が落ちるという点。私に対して言っているのでしたら、心配は無用だとお答えします」

 
べ、と舌を出してみせる。その上には溶けて半分の大きさになってしまった飴。松田の視界に納まって意味を理解したと判断し、再び口に戻してころころと転がす。

「最後に仕事以外でやってみたい事、行ってみたい所・・・ですか。まぁ確かに無くは無いですね」
 
ケーキバイキングとか、行ってみたい気もします。


 
指を咥えて見上げてくる竜崎に松田は軽く苦笑する。甘いものに目が無い彼にとって、そこは楽園にも近いものがあるだろう。

「だったら・・・」
「ですが!」

 
それこそ1日位休めばいいのに、と言いかけた言葉を突然大きな声で遮られ、松田は中途半端に口を開いたまま竜崎を見つめた。

 
感情の窺えない爬虫類を思わせる漆黒の瞳。出会った当初はこの瞳が苦手だった。自分の感情は見せないくせに、人の気持ちは見透かすのだ。そして見透かした上で無視する。



 
無視したと、思わせる。



 
最初の頃は冷たい人だと思っていて、この瞳を見返す事は難しかった。今では少し分かるようになったし、見つめ返す事だって平気だ。2,3回口を開閉してから首を傾げて続きを待つ。
 
それに竜崎はほんの少しだけ目を伏せて言葉を続けた。


「私が私である限り、リスクは出来得る限り避けなければなりません。外出も人との接触も、最低限に止めなければならないのです」

「竜崎・・・・」


 
強い言葉に松田はしばし絶句する。
 
自分だったら耐えられない。やりたい事だって一杯あるし、誰かと遊びに行く事だって好きだ。仕事だけに生きる事は難しい。
 けれど竜崎が可哀相だとは思わなかった。第一欠片でもそんな事を考えたら、たちまち彼はそれを察して酷く怒るに違いない。
 彼は彼なりの誇りと信念でこの道を選んだのだろう。
遣り甲斐を感じこそすれ、不幸だと思ったことは1度も無いはずだ。
 
だからこそ自分は彼についていこうと決めた。


 
ただ。
 
相沢に言わせると、自分はお節介な所があるらしいから。

 
やっぱり竜崎にも庶民的というか一般的な楽しみを知って欲しいと思ったりもするのだ。


「そうだ。こうしませんか、竜崎」
 
頭をよぎった考えが酷く名案に思えて、松田は満面の笑みで口を開く。




「今度の休みの時は、僕はたぶん遊びに出掛けますけど、夕方には帰ってきて竜崎に行った場所の話をしますよ。出来るだけ詳しく。そうしたら竜崎も行った気になりません?」




 
ね?と瞳を輝かせる松田を、竜崎はしばし言葉を失って見つめた。
 
松田という人物は稀に、本当に極稀に自分の思考の範囲外の事を指し示してくる。内容に価値があるかどうかは別として、そんな彼の思考は不快なものではなかった。
「・・・・・・好きにしてください」
「はい!任せてください!」
 
しかし素直に認めるには何となく悔しい気もして殊更興味なさそうに返したが、松田はその複雑な気持ちに気付くことなく、嬉しそうに頷いたのだった。




「鈍い・・・いやこの場合は能天気と評するべきでしょうか・・・・・」

 
今にもスキップしそうな雰囲気でソファへと戻る松田の背に向かって竜崎が呟く。
 
押さえたつもりの声音は意外に響いていたらしい、「何か言いました?」と振り向く松田に向かって軽く手を振る。

「いえ。その時は当然お土産も買ってきてくださるんでしょうね、と」
「あー・・・あはは。そうですね、美味しそうなスウィーツがあったら買ってきますよ!」
「はい。期待しています。それはそうと、松田さん」
「何ですかー?」
「紅茶、入れてきてください」

 
突然の要求に、松田は些か驚いて空になったティーポットに視線を落とす。
 
時々甘味の準備を頼まれる事はあったが、紅茶やコーヒーだけは竜崎は必ずワタリに淹れて貰っていた。だから今回だって紅茶はワタリに頼むものだとばかり思っていた。
 
それが自分に振られたことを不思議に思って素直に問いかける。

「あれ?ワタリは?」
「ワタリはいません。ちょっと用事を頼んだものですから」
 
帰ってくるまでの間、必要な分は準備していってくれたんですがね。

 
僅かに棘のある言葉に顔色を失う。つまり、今しがた自分が飲んだ分がそれだったのだろう。道理でいつもより機嫌が悪そうに見えたわけだ。
「ははははい!ただいま!!」
 
正式な淹れ方など知らないが、何とかなるだろう。これ以上機嫌を損ねさせてはならない。
 
腰を下ろしかけて大慌てで立ち上がった松田は、自分を見送る竜崎がほんの少しだけ口元に笑みを浮かべたことなど気付く余裕もなく、キッチンのある部屋へと駆け込んでいった。



「・・・・そんな休日というのも、悪くないかもしれませんね」



 
ゆったりと呟いた言葉も聞くものは誰も居らず。
 
それでも竜崎は満足そうに息を吐いて、再びモニターへと向き直ったのだった。


















「・・・・・松田さん。不味いです・・・・・」
「あああすみません〜・・・紅茶なんてティーパックでしか淹れた事なくて・・・」
「お土産話をして下さる時にはもっと美味しい紅茶が飲めるように、ワタリに習っておいて下さいね」
・・・・・!!はい!!」

 
次の休みには。
 甘いお菓子と、美味しい紅茶と、とびっきりのお話を準備して。

 貴方の所に、お邪魔しましょう。





松田さんと竜崎。
この二人の話は盛り上がりもオチも無く、ぐだぐだしてても良いんじゃないかと思います(笑)
もうこの人は本ッ当にしょーもないなぁ・・・と呆れつつも結局相手してあげる竜崎に萌える。
(’08.11.8)

戻る