竜崎がいなくなった日。僕が泣くことはなかった。
 その日だけじゃなくて、その後に続く日々も。
 いつも通りの日常を繰り返して、今までと同じ様に捜査を続けて。本部の人達と冗談を言って笑ったりもしていた。



 変った事といえば、僕がコーヒーに入れる砂糖の量が少しばかり増えた、という事だけ。



 ぽちゃん。
 ぽちゃんぽちゃん。

 琥珀色の液体に投げ込まれる白い塊が波紋を広げる。
 さして大きくもない表面に幾重にも重なった波紋は、すぐに壁にぶつかり消えていった。

「あれ?松田。お前って前からそんな入れてたか?」
「・・・・・え?」
「いや、砂糖。あんまり入れる方じゃなかっただろ?」

 不思議そうな井出さんの声に首を傾げる。そんな僕に井出さんは更に首を傾げた。
 
それそれ、と指差された方に視線を流すと、映るのは角砂糖を3つ放り込んだ僕のコーヒーカップ。

「ああ・・・・前はそうでもなかったんですけど」
「だろ?」
「てか、井出さん。僕の砂糖の量なんて覚えてるんですか?僕、そういう趣味は・・・・」

 わざとらしく身を引いてみせると井出さんは「そういう意味じゃない!」と顔を赤くして怒鳴った。
 井出さんは僕より年上であるし、仕事面では本当に尊敬できる先輩でもある。だけど時々からかいたくなるのは何でだろう。相沢さんだったら本気で怒るかもしれないけど、井出さんは最後には苦笑いして許してくれる。そう言う所も原因ではあるかもしれないけど。

「まぁ良いけどな・・・。甘そうだな、それ」
「・・・・そうですか?まだまだ足りないと思うんですけど・・・・」
「はぁ!?」

 信じられない、といった風に顔を顰める井出さんに軽く笑って誤魔化す。
 いつもだったら。他の話題だったら。それこそ相沢さんに怒られるまで二人で他愛も無い話を続ける所ではあるけれども。
 この話題だけは、続ける気にならないんだ。

 確かに以前に比べて、僕がコーヒーに入れる砂糖の量は増えている。
 何も知らない井出さんは其処に触れてきたけれど、始めから一緒に捜査している人達は、一度も話題にしたことがない。
 何故、僕の砂糖の量が増えたか、なんて。




『竜崎はそんなに甘いものばかり摂ってて、何で太らないんですか。運動もしてないのに』

『糖分は脳にとって重要な栄養素です。頭を使っていれば太りませんよ。・・・・・まぁ、松田さんには無理な話かもしれませんが』

『ひっど!!それ酷いです!竜崎!』




 始めは角砂糖5個だった。
 
けれど連日の捜査で休む暇が無いにも拘らず、最近の僕の体重は着実に増えていて。
 
結局3個がぎりぎりだった。

 ふと思い付いて、シュガーポットに手を伸ばして一つ摘んでみる。隣の井出さんが何か言いたげに見詰めていたけれど、気付かない振りをして口の中に放り込んだ。
 硬い角砂糖がじわじわと溶けて舌の上に広がっていく。
「うっわ・・・あま・・・」
「そりゃそうだろうよ」
 呆れた声に情けない笑顔で返してから、必死の思いで噛み砕いて飲み込む。




 口に残った甘味はただただ胸焼けを運んできただけで、ちっとも美味しいとは思わなかった。







 竜崎がいなくなった日。僕は泣かなかった。
 自分も殺されるかもしれないと言う恐怖の方が大きかったし、これからの捜査本部はどうなるのかと言う不安もあった。
 正直、泣く暇なんてなかったんだ。

 それになにより、竜崎が。


『言葉は記号です。名前を呼ぶにしても、気持ちを伝えるにしても、それは記号の羅列を相手に提示しているに過ぎません。だから言葉は脳に蓄積され易くもありますが、消去され易くもあるんです』

『は、あ・・・・。よく分かりませんけど・・・・』

『厄介なのは触感です。これは脳ではなく肌に直接残されるだけにタチが悪い。下手な記憶よりも余程鮮明に残ってしまうのですから』

『そう、ですか?』

『そうです。俗に恋人同士と言われる男女は言葉よりも直接に触れ合う事を重視するでしょう?それは本能的に相手に自分の存在をより鮮明に残そうとしているからですよ』

『・・・・・・』


 僕はその時、竜崎の言葉の意味はよく分からなかったけれど。
 
多分、竜崎は自分が居なくなってもすぐに忘れて欲しいと言いたかったんだろうと、後になって気付いた。
 そんな僕の考えを裏付けるかのように。



 竜崎は決して僕に触れなかった。
 そして僕が竜崎に触れる事も、決して許さなかった。



『松田さんは本当に馬鹿ですね』

 口癖のようにそう繰り返していた竜崎。
 でも。でもですね、竜崎。
 竜崎だって馬鹿ですよ。
 僕と同じ位。もしかしたら僕よりも。

『松田さん。その資料を貸して下さい』

『松田さん。すみませんが、ケーキを買ってきてくれませんか』

『松田さん』


『・・・・松田さん』


 記号であるはずの言葉は、僕の中から消えないんです。
 消去し易いなんて嘘です。

 確かに恋人同士は触れ合って相手を確かめるけれど、同時に言葉だって大事に取っておくんです。
 相手が大事であればあるほど、様々な情報を失わないように記憶と心と身体に刻み込んでおくんです。

 竜崎の体温を知らない僕は、竜崎が僕に向けた記号の羅列を覚えておくしかない。
 竜崎の体温を知る事が出来なかった僕は、視覚で得た情報で竜崎の姿を構築するしかない。



『松田さん』

「・・・・つだ?おい。松田!」
「・・・・・っ!」



 突然肩を強く揺さぶられて、はっと我に返る。振り返ると井出さんが心配そうな顔で僕を覗き込んでいた。
「お前、本当になんか変だぞ?疲れたんならちょっと休んでくるか?」
「あ、いえ。大丈夫ですよ」
 へらりと笑って返すが、井出さんの表情は変わらない。
「・・・・・無理はするな」
 いつの間に傍に来ていたんだろう。相沢さんがボンヤリとしていた僕を怒るでもなく、軽く背を叩いてからそのまま資料に目を通し始める。
「いえ、本当に・・・・」
 大丈夫です。言いかけて僕の口は凍り付いた様に動かなくなった。


 心配そうに肩に置かれた井出さんの手から伝わる体温。
 気遣う様に叩かれた背に感じた相沢さんの体温。


 なのに、僕は知らないんだ。

 一番知りたかった人の体温を。


「やっぱり、ちょっと外の空気を吸ってきます」
 
立ち上がった僕に頷いた二人に軽く会釈して、ふらふらと出口に向かう。外と中を遮っている扉までの道のりが、こんなに長いと感じたのは初めてだった。

 踏み出した外界は、冷たい風が吹いていた。葉を失った街路樹は寂しげに佇み、空はどんよりと重い雲をはらんでいて、今にも泣き出しそうだ。
 
道行く人達もコートの襟を立てて足早に通り過ぎていく。室温の管理された場所からそのまま出て来てしまった為に背広も着ていない僕を、幾人かが不審そうな目でちらりと見遣ってきたが、そんな事はどうでもよかった。
「さむ・・・・」
 腕捲りして剥き出しになっている部分に鳥肌が立つ。身を震わせてごしごしと腕を擦ると、其処から嫌でも自分の体温を感じた。
 それがまた僕の気持ちを掻き乱す。



 そう。僕は知らないんだ。一番知りたかった人の体温を。


 竜崎の、熱を。



「竜崎・・・・」
 呟いてみても当然答える人は居ない。
 
なのに。

『はい』

 僕の記憶はいとも簡単に彼の声を再生して、耳に響かせた。


「竜崎」
『はい』


「竜崎」
『はい。何ですか、松田さん』


 何度繰り返しても、鮮明に響く竜崎の声。

 竜崎は本当に馬鹿です。
 触れなければすぐに忘れられると、本気で思っていたんですか。

 僕は貴方の体温を知らない。
 知らないから、忘れられないんです。



『松田さんは本当に馬鹿ですね』

「竜崎だって本当に馬鹿です」



 僕が竜崎の体温を知らないままであった事。
 竜崎が僕の体温を知らないままであった事。

 それで全てが0に戻ると信じていた貴方と。
 それで全てが0にはならないと知ってしまった僕が。





 交わる日はもう、来ない。


貴方の運命が大きく変わっても、僕の日常は変わらなかった1年前の今日と言う日に


 僕は初めて、涙を流した。







らっぶらぶ〜な松Lも好きですが、 何気にプラトニックな二人だったらちょっと萌える。
・・・・と言う腐な妄想も入っていますが、あの日。捜査本部の誰もLを悼まなかった原作が凄く悔しくて。
少し位は竜崎の事を思ってやってよー!と言う一心で書き上げました。
アニメやスピンでは捜査本部もマッツーも悼んでくれていますけれどね。やっぱりね・・・。
単に暗くて意味も無い話になってしまいましたが。
今更ながら、こんなマッツーはアリなんだろうかナシなんだろうか。ドキドキ

では最後まで読んでくださって有難うございました!

戻る